ボーナスなんてムカつくもんはそろそろやめちまえよ!
6月 ― 夏が近づき、ボーナスがある会社に勤めている人は今年の金額を想像しソワソワしているのではないだろうか。
私もそんなサラリーマンの一人である。
しかしながら、ソワソワしてしているのは「今年のボーナス楽しみ!」なんて安直なものではない。
今年のボーナスの使い道を考えている一方で、なんとも腑に落ちない気持ちを腹に抱えている。そんな状態である。
「ボーナスなんてやめちまえ」
今この時期だからこそ主張したい。
こんな制度やめてくれと。
評価に納得できないストレス
多くの人たちは、評価によってボーナスの金額がその都度上下するだろう。 評価が良く、上がっている時は良いだろう。
「あんだけ働いたんだから、このくらい評価してもらわないとね」
なーんて調子のいいことを思うかもしれない。
しかし、評価が悪く去年より下がっているときはどうだろうか?
「仕方がない。これからはもっと頑張るぞ!」
なんて思うだろうか?
いや思わないだろ!
こんなに頑張っているのに評価してくれないのか、という負の方向に感情が向かってはしまわないだろうか。 2017年のアンケート調査によると、約半数が会社からの評価に納得していないという。
会社からの評価に納得していない人は47.9% - その理由は?
ボーナスへの納得度を示した調査ではないが、評価の結果がボーナスに反映されることを考えればボーナスへの不満割合との乖離もそれほどないだろう。
また、エンジニアを対象にしたボーナスへの満足度調査によると4人に3人がその金額に満足していないことが見て取れる。
夏のボーナス、「不満」、エンジニアの4人に3人。現実と理想のギャップは30万円 https://www.excite.co.jp/news/article/Economic_85439/
もともと、ボーナス制度も社員への利益還元ややる気の促進のための制度であるはずだ。 それがこのような不満の原因になるのは本末転倒ではなかろうか。
もらいすぎるともらいすぎるでストレス
さて、そんな不満の一方で私は自己評価が大変低いので、思った以上の金額をもらってしまうと それはそれで引く
めんどくせー奴だな
これが、ゆるい評価基準とあいまって非常に申し訳ない気持ちになる。 「なんかよく分からないけど評価されてしまった」 理由の曖昧な評価は「貸し」を作ってしまったような気になり、精神衛生上たいへんよろしくない。
50万、100万もの余剰価値を自分が本当に生み出せたのかという葛藤のなか、 これだけもらったんだからもっと頑張らないと・・・というプレシャーにより自滅もありうる。
「期待を込めて星5つです」なんてするぐらいなら 「よくわからないので星1つ」の方が心の安寧は保てる気がする。
よくこんな豆腐メンタルで社会人10年もやってるな
他人と比べてストレス
大抵の場合、基本給〇か月分という原資が確保され、そこから各自の基本給や評価によって金額が割り当てられるかと思う。 原資の上限がある以上、全員が最高評価ということはありえず、各評価階層ごとに上限人数が決まっているのではないだろうか。 少なくとも私の経験ではそうである。
つまり、ボーナスとは絶対評価ではなく相対評価である。 自分の評価が低いということは、かわりにアイツの評価が高いということでもある。
これが実に悔しい。
アイツは評価されて、なんで自分は評価されないんだ! なんてサラリーマンにありがちな鬱積まっしぐらである。 普段の人事考課にも同じことがいえるが、それが厳密な金額として表れてしまうのがボーナスの恐ろしいところだ。
上の年代への不満
また基本給〇か月分などいう算定基準のせいで、よっぽどドラスティックな成果を上げない限り上の年代の金額には決して届かない。 これもまた、昨今の成果主義の考えが広まっていることも後押しして大きな不満となる。
30代半ばにして、最高評価をとっても平均金額にすら届かないのである。
うおおおおおおおちくしょょょょょょょょょょ!!!!
ボーナスなんて不満が溜まる制度はやめちまえよ
というわけで、どちらに転んでも不満の温床となるボーナス制度は今すぐやめるべきである。 業績が良いときに、一律の給付金制度にでもしてくれた方がよっぽど良い。
あるいは年功序列やあいまい評価を廃した、厳密な評価主義へと転換したほうが、評価が良い時も悪い時も納得感がある。 人材の流動化が進む中で、ボーナスを含めた納得感のある評価制度が整備されることを切に願う。
よっぽど今回の評価が気に食わなかったのね
まあ、もらえるものは頂きますけどね
パソコン買うんだ(ホクホク)
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